歩く歩く

末永泰三のブログ。旅好きが興じ、働きつつ長期滞在し数カ国を巡った体験を基に日々の気づきを綴る

むか〜し、むか〜し、ネットもパソコンどころかガラケーもなかった時代の話。今となっては信じられないが日本がバブル期のころである。

 

私はカナダに住んでいた。日本のようにワンルームのアパートなんてものはなかったので一戸建ての家の部屋を間借りするのが一般的だった。私も独り者の爺さんの家に家賃を払って住んでいた。そしてその頃のルームメイトは北京から来た中国人の留学生だった。

 

私よりは年上だったせいか、家族でもないのに生活態度などを説教されたが、お互いカナダではマイノリティ同士でうまくやっていた。共同キッチンでお互いの料理をシェアしてビールを飲んだりだとか。喧嘩もしたような気がするが割といい思い出しか残っていない。

 

彼は中国人の可愛らしい彼女がいて高倉健の大ファンだった。彼女が来た日は私が気を利かして外出するという暗黙の了解があった。もし私が女の子を連れ込んだら彼も気を利かして外出しただろうが残念ながらそんな機会は訪れなかった。

 

彼はマルボロを吸っていてそれを中国人の仲間に見られると「そんなことに無駄な金を使うな」と説教されるとこぼしていた。健康を害するからやめろではなくてお金が無駄になるからやめろというところがミソである。

 

その頃の彼はいつも同じジーンズで同じジャケット、品質が悪そうでデザインも洗練されていない安物を着ていた。彼だけでなくその頃の中国人の学生の服装はだいたいそんな感じだった。彼は私のクローゼットを見て「たくさん服を持ってるね」と驚いていた。(日本人は総合的に衣装持ちだったが私は特に無駄に服が多いほう)

 

そう言えば中国人の留学生達は学期の最初に誰かから教科書を借りて、コインコピー機を使い留学生全員で分担して丸々一冊を全員の人数分コピーして製本していた。(まさにコピー文化)新品の教科書代と比較して安くなると言っても微々たるものだと思うのだが、その微々たるお金も人民元に換算すれば国では価値を持ったのだろう。それくらいレートが違う時代だったのだと思う。私は、当時まるで国際情勢に興味がなかったが今考えてみるとあの年代は香港返還前で第二次天安門事件直後ぐらいの複雑な時期だったなと思う。カナダにいた香港人、中国本土の中国人も目的は移民だった。

 

一方、その頃は日本の企業の絶頂期でもありアメリカのデトロイトでは日本車を破壊するデモンストレーションなんかも起こったばかりだった。さらに日本人は高価なカメラを首からブラ下げてツアーで海外に来てお土産を爆買いしていて品の悪い成金という感じだった。まさに立場が逆転したというか、ご存知の通り今それをやっているのは中国人である。

 

実はこの話に特にオチはない。中国人爆買いとか、中国人関連のネットの記事を読んでいたら、ふと彼のことを思い出し、時代は変わったなあと思ったのと、昔が懐かしくなったので当時の様子を書いてみた。

 

もう連絡先などわからないしカナダから私も連絡は取っていないが、今、何をやっているのだろうか。中国が潤っているわけだから彼もきっとビジネスチャンスが多いだろうから、金持ちでもなっているのかもしれない。大リーグのトロント・ブルージェイズがスポンサーだったビール「ブルー」でも飲みながら、もう一度彼と会って、その後の半生を聞けたら、色々面白い話が聞けそうだが。

 

 

 

 

エジプトビール
 

※エジプトのビール「ステラ」私好みの味だった。カイロには目立たないように看板も店名も出していないが時々パブがある。また酒類販売所も目立たないようにだが存在する。顧客はエジプトのキリスト教徒のコプト教の人々らしい。本文はイスラムと豚肉の話だがイスラムつながりで。

 

まったく皮肉なことではあるが例の組織のせいで、日本人が歴史上ここまでイスラム教に関心をよせたことがあっただろうか?ぐらいのレベルでイスラム教に対する認知度が上がっているのではないかと思う。私もイスラム教のことをもっと勉強しなければと思っている。そして、今、同じようなことを考える日本人は少なくないだろう。

 

ところで、ご存知の通り和食は国際的にブームで、経済が活性化しているマレーシアやインドネシアといったイスラムの国での日本料理店も増えている。私自身はマレーシアのラーメン店で働いた経験がある。今回は、そこで起こったイスラムのスタッフとの、ちょっとしたエピソードを書いてみよう。文化の違いは一筋縄ではいかないという一例だ。

 

その店はラーメン店なので当然スープの出汁をとるのもトッピングのチャーシューも豚肉だ。ご存知のように豚肉とお酒はイスラム教では御法度だ。

 

それでもスタッフはイスラム教徒(外国人)が多かった。イスラム教かどうかは面接時にチェックして「うちは豚肉を扱う店だけど大丈夫か?」ともちろん聞く。「構わない」という了承をとった上で雇い始める。

 

しかし宗教に対する熱心さには個人差がある。これがクセものだった。例えばアルコールは一切口にしない者もいれば大好きな者もいる。ラマダンをする者もいればしない者もいる。しかし私の感触によるとアルコールは飲めても豚肉はダメという人が多かった。タブーにするなら快楽的なアルコールの方が上っぽい気がするのだがアルコールよりも豚肉の方が「イケないこと」のようであった。

 

無論、豚肉に関しても個人差はある。ある者は豚肉を平気で食べる。ある者は自分が豚肉を食べさえしなければよく、手で触ることも別に気にしない。

ただし一方である割合の者はまるでアレルギーでもあるのかのように豚肉、もしくは豚肉を使ったスープさえも、触れることを忌み嫌う。できあがったラーメンを運ぶのはいいが、汁が飛び散るからだと思うが皿洗いができないなどと言う。よく日本でも留学生の多い大学の学食などはハラルコーナーを設けるようになったが、ハラルフードを出す店では豚肉を調理した器具、それをよそった食器を使用しない。使用したらそれはハラルの店とは言えない。あれは、例えて言えば、大嫌いで生理的に受け付けない異性と「間接キス」するみたいなものだからだ。いやこの表現では生優しすぎるか。彼らは礼儀として外国人に対して直接的な心境を口にしないのだろうが、察するところ彼らにとって豚肉とは「気色悪いゲテモノ食」なのだと思う。 

 

「なるほど『豚肉が汚れている』という考え方は、こう現れるのか」と、まさに身を持って理解できる体験だった。が、もちろん関心している場合ではない。ゴム手袋を使って洗うように言っても、のらりくらい皿洗いをやらずに済ませようとする。日本式に少数精鋭でやっていたので皿洗いができないスタッフを混ぜてシフトを組むのは難しい。さらには不公平だと他のスタッフとも確執が起こり険悪になる。当たり前だが宗教上のこと無理強いはできない。ましてマレーシアである。まあ、そんな出来事があって以後、当然面接時に皿を洗えるかどうか確認するようになった。

 

ところで、そもそもマレーシアでラーメンを誰が食べるのかといえば非イスラムの住民である。華人、日本人、欧米人などだ。しかしマレーシアでのマジョリティは当然イスラムのマレー人である。だから狭いマーケットで集客していたことになる。

私もこういう経験があってほんのり理解できたわけだが、このイスラムの人々の豚肉に対する生理的嫌悪感を甘く見ている日本人がフードビジネスの中でさえ多いと思う。
 
 

ゆえに、私が思うに、イスラムの国でラーメン屋をやるなら、マニアックだが豚肉を一切使わないで牛骨ラーメンとか牛筋ラーメンをやったらいいんじゃないのかなと思う。地元のマジョリティの文化とぶつかるものをビジネスでやるというのは、本当に色々な労力、つまり面倒臭い作業が必要になってくる。

というわけで、これからイスラム圏でラーメン屋をやろうと思っている方はぜひ牛骨、牛筋ラーメンで頑張ってください……。

とここまで書いて、大事なことを思い出した。
マレーシア、シンガポールあたりの華人の人たちは仏教の関係で牛肉を食べない人が多いんだった。加えてあまり日本食を食べにこないがインド系の人々も牛肉はダメである。

やっぱり鶏ガラスープのチキンラーメンで頑張ってください。


 

 

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カニ女


閻魔大王

ハウパーヴィラ


写真上:シンガポールの古き良き時代のプラナカンスタイルの装飾。今現在はパブ。
写真中上:シンガポールの地獄庭園ハウパーヴィラというところのコンクリート人形。カニ女
写真中下:ハウパーヴィラの地獄を再現したジオラマ
写真下:ハウパーヴィラの…どういう物語を再現したものかは忘れた。
※単にシンガポールの写真というだけで本文との関係はなし。




私は昔シンガポールで日本語教師をやっていた。

 

ネットを見ていると大学生や中高年も「日本語教師になりたいんですけど」というコメントを時々見かける。国際交流もできそうだし楽しそうというイメージがあるのだろうか。

実際楽しいことも結構あったし日本の会社で残業をエンドレスにやり続けているよりか全然マシだとは思う……。しかし、大変なこともあった。

 

さて、では何が大変だったか?と言うと第一に「教師も人気商売だ」ということだ。

 

これは私が所属していた学校のシステムに起因する。その学校では生徒が自分の好きな教師のクラスを選べるシステムだった。こういうシステムでどういう現象が起こるかと言うと人気のある教師のクラスには生徒が制限人数一杯になるまで登録されるが人気のない教師の場合はクラスの最低人数を下回ってしまい……あげくに中止。なかなかシビアな世界だった。

 

そして第二に上司が今時の日本では絶滅危惧種のような保守派精神論ババアだった。このババアを私はシーラカンス・ババアと名付けていた。 

例えば日系ブラジル人社会などに既に本国では消えてしまった文化が綺麗に残っている場合があると聞くが、このババアも経済成長前のシンガポールに根付いて変化し続ける日本の文化からは隔絶されなぜか悪しき伝統だけを結晶化させた。
 

こいつが人気のない教師と人気があっても自分が気に入らない教師をヒステリックにありとあらゆる嫌がらせでトコトン追い詰めて自主退職させた。とにかく教師は常時入れ替わる。
私は人気がなかったので前者だった。ノルマの果たせない営業部のサラリーマンみたいなものだ。また別の女性教師は人気があってもババアが生理的に受け付けないらしく戦時中に因習だらけの田舎に嫁いだ若嫁のようにいびり倒される。

 

ゆえに教師は必死である。ただ単に生真面目に淡々と教えていても生徒に飽きられるので、授業を楽しませるために生徒を笑わせるギャグの一つぐらい言えなければならない。さらにクラスメイト同士の交流を活性化させるために率先して食事会だとかボーリング、カラオケなどを企画してプライベートな時間を割いて生徒との交流に当てる教師も多かった。そうやってクラスメイトが仲良くなると落ちこぼれる生徒が減るのだ。

 

私はなぜ人気がなかったかといえば今思い起こせば色々欠点が思いつくが変に硬かったのだと思う。
ある日、受付カウンターでこれからクラス登録する生徒が自分の事務員と話していた。
「この先生はどんな感じ?」と事務員に聞く。
She is funny.
「じゃあこの先生は?」事務員は少し複雑な顔をして、He is serious.
って誰のこと話してんだ?と思いきゃ俺のクラス。
シリアスって俺かよ?
「シリアスは嫌だな。じゃあこの先生」と生徒。
おいおい事務員、勘弁しろよ。これじゃあ誰もクラスに登録しないに決まってんじゃん。

クラスの登録人数が足りずに中止になり私はババアに説教された。
「シンガポール人はね。面白い先生が好きなのよ。もっと笑わせなさい!」とのことだった。
それを女性の同僚にこぼしたら
「教師はホステスとかホストじゃないですよね! 
M先生(ババア)は間違っています!」
などと憤慨する……。

 

私は一瞬泣けてきそうになったが、考えてみると彼女はこの学校で人気ナンバーワンの教師で生徒の登録人数なぞ悩む必要もないしババアにも好かれていて文句は言われない。

やはり人気ナンバーワンになるだけあって、どんな状況でも共感力抜群である。

 

 

 

 

 

 

久しぶりにスタバに行ったら隣席で、英語の個人レッスンをやっていた。

女性二人。
20代前後の生徒の方がより米国っぽい語調で話す。教師の方は年上で英文の解釈を説明している。日本語と英語を混ぜこぜにして語りあっているので嫌でも目立って耳に入ってきてしまう。どういう契約関係になっているかは知らないが、生徒はがっつり質問して、教師の方もできる限りの知識と経験を総動員して教えている。

 

昔、英会話学校に私も行ったことはあるが、特に英語ネィティブの教師たちの質は悪かった。もともと英語教授法を学んだものなどいなくて、こんな楽な仕事で日銭をかせげる、学校側の管理も甘い、本国では考えられない。ラッキー! という彼らの心の声が聞こえてきそうだった。

この日本人の教師は、あの頃のやる気のない英語ネィティブなんかとは雲泥の差だ。今日日、英語ネィティブとコミュニケーションをとるのはネットで知り合えば無料でできる。ネィティブであること以外に何も持ってない連中が教師を名乗る英会話学校の生徒は、早くそれに気づけばいいのに。

 

それで、ふと英語に関して何か語りたくなった。で、今回は、私が考える日本人の英会話における最大の弱点は何か?というのをテーマにしたい。日本人はシャイだからとか、何とかいろいろ理由を言う人がいるとは思うが、これはあくまで私の説である。私は別に英語教師でもないし、最終学歴は今のところ高卒である。そんな程度だと思って聞いてほしいのだが……

 

では結論から、日本人の英会話能力を阻む最大のものは、Phonicsだと思う。問題は「子音」なのだ。子音を単独で聞き分けられることと、発音し分けられること。

 

Phonicsとは、A,B,Cと表記された文字のそれぞれの音を指している。A,B,Cの発音とは「エー、ビー、シー」では決してない。「エー、ビー、シー」は文字の名前だ。私が言っているのは発音記号として表記されている例のあの音である。日本語の場合、ひらがな、あ、い、う、え、お、は文字の「名前」と「発音」を兼ねている(実は全部ではないが)。そのせいか子音を聞き分けるとか発音し分けられるという重要性が、あまり認識されていない気がする。

 

日本人が英語が苦手なのはタカナ英語を使うからだなどと、日本語を話すようになった欧米人がしたり顔で言っていたりする。だが、それは、まったくの的外れな話である。「君らが日本語を勉強するのにカタカナ英語が煩わしいだけだろ?」とツッコミたくなるのであるが、カタカナ英語は二次的なものであって本質ではない。では本質とは何か?

ようするに多くの日本人にとって、「
ka,ki,ku,ke,ko」は「か、き、く、け、こ」であって、これが最小単位である点が問題なのだ。子音と母音が分かち難くくっついていて一つの音として認識されているし、聞き分けられないし発音できない(人が多い)。

 

黒板にkという文字を書かれて「これを発音してください」と言われても「え、何のこと?」って戸惑う人、多くないだろうか。そして発音したしても「か(Ka)」と言ってしまう人が多いんじゃないだろうか? 「ka」の「a」を消して完全に「kの音」だけが出てくる人案外少ないような気がする。

 

この領域の才能というのは音楽の聴音の才能とか音程やリズムをきちんとキープして歌える才能と関係が深いと思う。思うに、英会話、もしくは他の言語を話す能力というのは、多分に音楽やスポーツの才能とかぶる部分がある。日常会話では頭の中で文を作っている余裕はあまりない。条件反射に近い。どちらかと言うと英会話の能力向上は勉強というよりかはトレーニングだろう。

 

とはいえ、前述の若い女性の発音なんかを聞いていると(彼女の能力が高いだけか)かなり日本の英語教育は改善されているのかな?という感じもする。どうだろう?今はグローバル化とか、言われているから変わってきたのかな?

 

これが私の考える日本人の英会話の最大の弱点です。もし「それは違うぞ!」とか思う人がいたらぜひコメントでも書いてみて下さい。共感コメントも、もちろん歓迎。


*下は、英語フォニックス関連本





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写真:世界遺産の町ルアンプラバーンの路地。
 

その日、私はタイ・バンコクのスワンナプーム空港の一番外れにあるトイレの前の通路のすみで恥も外聞もなく床に、べったりと体を横たえて直に寝ていた。そしておそらく10分おきくらいに目の前のトイレに入り、水のような便を排出していた。そう、強烈な下痢に陥っていたのである。お尻の穴も紙で拭きすぎてヒリヒリ。体調も最悪。そして何より気を抜くと(お尻の穴の)公共の場で漏らしてしまうかもしれない恐怖。それだけは避けたかった。薬も効かないし。

 

その頃はシンガポールで働いていた。この時は休暇を利用してラオスのルアンプラバーンで観光を楽しみバンコクで飛行機を乗り換えシンガポールへ戻るスケジュールであった。本当はシンガポール行きのエアアジア便に乗るまでに半日もあったのでバンコクで街ブラするつもりだったが、そんな計画は水の泡。

原因はルアンプラバーンでの食べ物だろうか? 屋台でも焼き鳥やらスープビーフンやらバカバカ食べていた。またレストランでもサラダの野菜が活きが良くて美味しくて。しかし、まあ考えてみると野菜も有機農法だろう。だってやはり現金収入が少ない農家の人たちが、お金がかかる化学肥料なんて買わないだろうし、そうすると肥料として家畜の糞、もしかしたら人糞なんかも使っていても不思議ではない。日本だって昔は人糞使っていたわけだし。そう考えるとやはり加熱処理していないサラダは危なかったかもしれない、となどと原因を分析して悔やんでも……後のまつりだった。

 

空港のトイレの前で半日寝ても下痢は一向に治る気配はなく、やがて無情にも時間が来て体調最悪な状態でシンガポール行きエアアジア便に乗り込んだ。まだLCCなんて言葉はあまり流通していなかった頃の話でエアアジアは今ほどの知名度はなかった。私もLCCを初めて使ったのだが、チェックインカウンターで受付処理をやっていたスタッフがそのままキャビンアテンダントになるのには驚いた。そして最後の乗客が全員乗り込んだ後に、女性のCAが、飛行機のボディの一部であるあの重そうなドアを閉めようとするわけだが、立て付けが悪いのか、ぴったりはまらずロックがかからない。華奢な体を使って開けては閉めてを繰り返していた。これを見ていた乗客達も失笑。私は「やっぱり安いだけあって飛行機は古いのかな」と思ったものだ。(去年事故があったエアエアジアだが、業界内での安全性は高評価だったとの記事。↓)

 

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0K708620141229

 

しかし私はそんなことはどうでもよかった。とにかく「漏れそう」だったのだ。なんでもいいから早くシンガポールについてくれという気分だった。最近中国人の乗客がトイレではなく客席で子供に排便させてニュースになったが、それでもこれは子供の話である。この時、頭の中では「日本人乗客がフライト中に大便を漏らし機内が乗客から苦情の嵐に!」などというインターネットの記事の見出しを想像して「それだけは何としても回避せねば」と決意と肛門を引き締めた。フライト中もシートベルトのライトが消えると何度もトイレに行った。いつ何時シートベルト着用のランプがついてトイレに行けなくなるのかわからない。もよおすと同時に我慢しないですぐに行っていた。

 

ところが離陸してからしばらくたった頃、にわかにCAたちが慌ただしく通路を行き来。何やら尋常ではない雰囲気。機内では機長が英語でアナウンス。しかし雑音と機長の喋り方と自身の英語能力の未熟さで話が聞き取れず、隣の席の華人の若者に機長が何と言ったのか尋ねた。彼によればエンジントラブルで予定外の空港に着陸することになったとか。「はあ別の空港に着陸か、根本的な解決にはならないが陸地のトイレを使えるのは一時しのぎとしてはありがたいかな」などと呑気なことを考えていた。その後着陸態勢に入りシートベルト着用のサインが出てトイレには行けない状態になる。しかし、またもや便意をもよおして地獄の苦しみに。「くう。着陸まであと何分かかるんだ?」私は脳みその中で悶え苦しんでいた。と、その時だ。飛行機のエンジン音が急に聞こえなくなり機内に唐突に静けさが一瞬広がる。乗客達は、いったん息を飲んだ間がありその後「ワーオ」というどよめきが走る。明らかに「大丈夫か? これやばいんじゃないか?」と皆考えていた。皆、天井あたりに異変が起きてないかキョロキョロした。これってつまり、エンジンを使わないで、紙飛行機と原理は同じのグラインド飛行ってことか? これが体調万全だったら緊急事態で緊張も走ったのだと思うが「うんこ漏らしそう」という鼻から緊急事態を私は抱えており「もし飛行機が墜落したら、どさくさに紛れてうんこ漏らしても誰も気付かないぞ。フフフフ」などと苦しさのあまりトラブルとトラブルを合わせて相殺して解決するという不謹慎な案を思いついて心の中でほくそ笑んでいた。ほとんどドラッグで恐怖心が無くなったどこかのテロ集団の兵士みたいなものだ。

 

そんな妄想しているうちにやがて飛行機はタイ南部のどこかの空港に無事に不時着した。その時は自分がどの空港にいるかなどと確認する気にもならず、また待合ラウンジでトイレの前に陣取って時間を潰した。エアアジア側はどこかの地元の食堂から手配したっぽい、発泡スチロールに入ったタイの焼き飯を無料で乗客に配布した。さらに何時間か経過して別の代替飛行機の準備が整い我々はそれに乗ってシンガポールについた。不時着して空港についたあたりから私の下痢のピークは過ぎて体調不良ではあったものの何とか漏らさずにシンガポールの自宅にたどり着いた。

 

今、振り返ってみると、かなり深刻なトラブルだったんではないかと思う。(下痢の話じゃなくて飛行機の話)この前の事故で、そういえばそんなことがあったけと思い出した。

 

そして私はあれ以来、とにかく飛行機に乗る前も乗ってからも体調には神経を配る習慣がついた。LCCではなくレガシーキャリアに乗っても、酒がタダでおかわり自由でも一、二杯にとどめる。コーヒーではなくオレンジジュースを選ぶなどなど。飛行機と下痢この組み合わせほど最悪なものはない。

 

 

 

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