今日はネット記事を読んでいて「おっこれはオレも興味のある話題だった」というのがあったので記事をネタに話をしてみたい。

 

まずは下のリンクを参照して読んでもらいたいだが、読む暇のない人のために、この記事の内容を一言で言えば「日本人は雑談と見知らぬ人と話すのが苦手だ」という話である。ちなみにタイトルに韓国人がどうたらと書いてあるが、その部分はそんなに記事の中でのウェイトはない。

 

◇堀尾正明アナ「雑談術」 【第5回】日本人より、イタリア人がモテて、韓国人が英会話の上達が早い理由

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42471

 

ところで最近、和歌山で捕まったイタリア人がいたが、あれは実はジローラモじゃないのか? なんか言い訳がジローラモ臭いんですけど。 


◇電車内で女性にキスして逮捕のイタリア人 「あいさつのつもり」という弁解は通るのか

http://www.j-cast.com/2015/03/06229735.html

 
 

というのは冗談で別人。ただ「だから日本人は」と偉そうな上から目線フレーズがムカついたので変なイタリア人の例も出しておいた。
まあ、とはいえ基本的には、この記事(雑談の話の方)の言っていることは、大雑把に言ってそんなに間違っていないと思う。日本だって関西は違うだろうし、東アジア、東南アジアのどの国でもそんなに雑談するか? と言われると多少疑問はあるが、日本人ほどは躊躇しないのではないかと思う。

 

またイタリアの話に戻ってしまうが、ちょっと昔「イタリア人は隣に女性が座ったらナンパするのが礼儀」などという噂をよく聞いた時期がある(もしかしたら元ネタはジローラモ? あ、辻褄があう。それっぽい気がしてきた)。その真偽はともかくとして、この噂の始まりは、日本人の見知らぬ人との雑談に対する捉え方とイタリア人との差が根っこにあるような気がしている。

 

ジローラモが記事の中で「失礼だ」と言っているように隣に座った人に関係のない顔をして無言でいるのはニュートラルな態度とはとられず「失礼」にあたるのだろう。イタリアでは笑顔で雑談の一つもするのが礼儀ということではないだろうか? 逆に多くの日本人は見知らぬ人にそもそも話しかけるという発想がない。特に話者が異性間だったりとすると、むしろ話しかければ怪しまれるのでないかなどと躊躇する。まったく真逆の発想である。

 

おそらく日本以外の多くの国で(ラテン気質のイタリア人ほどではないにしても)雑談は、信頼を、つまりお互いが敵ではないことを確認する作業なのだと思う。昨今の日本人は話しかけるのが逆に変な奴だと捉えられると考える。そして、おそらく自分から話しかけるのは面倒臭いとか損と考える人も多いかもしれない。

 

しかし例えば日本でもビジネスの世界では取引先の人とゴルフをやったりする。一見無駄なように見えて取引に直接関わる内容だけの話だけでは、総合的な相手のパーソナリティがわからないからあのようなコミニケーションが必要になるのだろう。あるいは飲み会が日本の会社で半ば義務化するのはそのような総合的なコミニケーションが勤務時間中に圧倒的に不足しているからかもしれない。

 

まあ商談に限らず、本当は普段からゴルフや飲み会などしなくても雑談をしていれば相手の人となりがわかるし、様々な情報が得られるし実は損より得をするはず。さらに日本だって震災の時は被災者は見知らぬ者同士でも会話するだろうし雑談もしたのではないか? その方が合理的だからだと思う。従って私も日本人が雑談とか見知らぬ人と話す習慣をつけていくのは賛成だし必要になってきていると思う。ある意味、それは礼儀ぐらいに思って相手が異性であれ同性であれ話かけるスキルをつけていった方がいいのかもしれない。

 

よく日本の首相がサミットだのG7だのに参加しても、欧米の首脳たちからまったくカヤの外みたいな報道がされるがあれはそもそも雑談する習慣がないことが起因していないか? ああいう貴重な場で雑談から話が好転することもあるだろうしまったく雑談できないことは相当国益を損なっているのではないだろうか?

 

かくいう私も外国へ行っても「オレは外国人だし、面倒だし、いっか」と周りの人間と雑談をしていなかった。ところが、だんだん周りの雰囲気みたいなものを感じとって行くうちに「雑談をしないというのは、ある意味、失礼に近いことなのかもしれない」という結論に至ったのである。